antiCM

 

 

 

*『禁煙ファシズムと戦う』要約

第一部 禁煙ファシズム・闘争宣言(小谷野 敦)~

 

自ら根っからの愛煙家であることを公言する国際日本文化研究センター客員助教授であり東京大学の非常勤講師でもある著者が、2003年5月に施行された「健康増進法」に伴う日本社会における猛烈な反喫煙体制を全文にわたりするどく批判している。~

小谷野氏は個人の健康の問題に国家が立ち入ること、それも喫煙の問題だけに殊更介入しようとしてくることに対し不快感を示している。また、四大新聞をはじめとするマスコミの禁煙に対する不自然な肩入れにも強い疑問を覚えている。小谷野氏はタバコの引き合いに自動車を出し、タバコよりもたくさんの煙を排出し、なおかつ年に1万人近くもの人間を殺している自動車が許されて、タバコだけが一歩的に目をつけられ、規制されていく現状を許しがたいものとしている。小谷野氏はこういった疑問を具体的な行動に移すことによって、禁煙推進サイドと真っ向から対立していく。~

禁煙が徹底されている京王電鉄と小田急電鉄のプラットホームでわざと喫煙し止めに来た駅員とやり合ったり、勤めていた明治大学は喫煙スペースをなくされたことへの抗議の意味で辞職したりもした。また、渋谷の劇場・シアターコクーンに対しては全面禁煙の意義を問うため直接問い合わせをし担当者をたじたじにさせ、ANAJALといった大手航空会社には喫煙便の導入という一見無謀なことをも真剣に提案していたりする。もちろん彼の対極に位置する禁煙運動家というものには積極的にコンタクトをとり、路上喫煙が禁止されている千代田区まで出掛けていってはあえて路上で喫煙し、捕まえられるのを待ち行政訴訟を起こそうとしている。~

そんな著者だからこそ、禁煙化がこれほどまでに社会で幅を利かせてきたことに対しては、何か国家による力的なものが背景にあると踏んでいる。解剖学者の養老孟司が禁煙ファシズムは何かを隠蔽するためのスケープゴートに違いないと述べていたことを受け、その何かは「遺伝」のことなのではないかと睨んでいる。健康増進法の施行がゲノム解析終了宣言の翌月であることもふまえた上で、筆者は人々の病や自らの寿命に対する恐怖心をそらすためにも、禁煙ファシズムはますます勢力を増してきていると述べている。~

 

第二部 禁煙ファシズムの狂気(斎藤 貴男)

 

フリーのジャーナリストである著者は決して愛煙家ではない。しかし、昨今のアンチ喫煙ブームに強い違和感を覚えている人物の一人である。そんな著者はここでは現在に至るまでの主だった禁煙ブームの流れを世界的な視野を含んだ上で説明している。~

1999年に神戸で開かれたWHOの「タバコと健康」会議では日本はタバコの規制に関して先進国としてふさわしくない状態であると指摘される。それに対してアメリカのクリントン政権は、同年にニコチンを習慣性のある薬物と公式認定し、翌年には青少年に対する販売や広告を厳しく規制する大統領令を発令するなど、熱の入れようは凄まじいものだった。また、ヨーロッパにおいてもタバコの広告をほぼ全面的に禁じる法律が欧州会議にて成立していた。~

そんな風にタバコの取締りに関して遅れをとっていた日本だったが、禁煙運動の兆候は既に1970年代後半には見受けられていた。国立がん研究センターの平山雄・疫学部長が厚生省の委託で26万人にも上る人間を対象にタバコとガンの関係を調べる疫学調査を行ったのだ。そしてこの影響で「嫌煙権確立をめざす人びとの会」という市民団体と「嫌煙権確立をめざす法律家の会」という、学者や弁護士で構成される団体ができ、嫌煙権を主張し始めた。そして近年「健康日本21」という個人の慢性疾患の予防を目指すガイドラインが出来上がり、タバコの持つ悪いイメージがより強調されるようになってきている。~

ただ、国家が国民にタバコの節制を求めるのは単に国民に健康な生活を送って欲しいからというわけではない。国家にとって医療費の削減は大きな意味を持つものだし、タバコ税の確保は財源として大いに機能するだろうからだ。筆者はこういった日本の反喫煙ブームを分析している。なお、本文の後半では平山疫学の信憑性のなさについても言及している。~

 

第三部 嫌煙と反嫌煙のサンバ(栗原 裕一郎)

 

ライターであり喫煙者である著者はまず冒頭で寅さんを例に挙げ、寅さんがタバコを吸わなかったということについて書かれてある二つの本を紹介している。また、実在の事件を基にしているハリウッド映画「インサイダー」を取り上げ、アメリカ社会におけるタバコ産業と政府のあり方を映画の内容と共に解説している。~

そして、禁煙論が最近では衛生学の範囲を踏み越えて、経済学あるいは社会政策論の分野まで踏み込んできて、喫煙の不経済説:「社会コスト論」を主張し始めたとも述べている。これにより私たちの周囲ではますます喫煙することは体に悪く経済的でない、つまり良くないものだというイメージが高まってきているとしている。~

 

 

*吸うか吸わないかは個人が決める!アンチ禁煙(及び健康増進法、管理社会)

 

タバコは健康に悪い!というのは本当だが、危険なものや健康に悪いものすべてがこの世から否定されるべきではない。車は排気ガスを撒き散らすし、酒は飲みすぎで死ぬこともありえる。バンジージャンプやスカイダイビングも危険であり、常に死と隣り合わせである。しかし、これらは社会の中で許容されていて、個人の責任において立派に認められる。ところがタバコとなるとそうではない。今の日本はまだ分煙のスペースが多いが、禁煙区域が日増しに増えているし、そもそも多くの非喫煙者の人々の中には、「分煙でさえ生ぬるい、タバコがこの世からなくなればいいのに」と考えている人も多い。ところで制度というものは突然つくられるものではない。まず、特定の人間がある問題に対する問題意識を設定し、その問題意識が多くの人々に共有され、そしてその問題意識が解決されるべき、という合意が形成され、そこで初めてその問題意識に対する解決策としての制度が出来上がる。まずタバコの問題は非喫煙者の権利として、問題意識化された。そのことによって非喫煙者にけむりを受動的に吸わせるべきではないという合意が形成され、解決策として分煙が行われるようになった(制度化)。となると現在の分煙は最近設定された問題意識ではなく、30年前の問題意識の制度化に他ならない。この問題意識においてはタバコが他者の迷惑になる点が大いにあるので、吸う場所を設定することで、両者の権利を守ることであった。つまり分煙とは吸う人と吸わない人が同等の権利を有していた状態であったと考えられる。~

 

しかし現在ではそのような状態が崩れてきたとは言えないだろうか。もはやタバコの問題意識は次のステージへと以降してしまったのだ!では今、タバコについて設定されようとしている問題意識とは何だろうか。それは「タバコは百害あって一利なしだから、吸ってはならない」というような問題意識である。つまりタバコを吸う人の権利を剥奪するということだ。これはすでにアメリカにおいて、制度化に成功しているように思われる。日本でも分煙区域から禁煙区域に変わっている場所が増えているし、強制力のない健康推進法が制定された。おそらくあと数年もすれば「タバコは吸ってはならない」という問題意識が当たり前のようになり、制度化されるだろう。

我々が指摘したいのは以下の点だ。~

 

一度制度化されてしまえば、その制度に至るプロセスは曖昧になり、起源が消滅する。そのため、タバコの全面禁止という制度化が将来、仮に制度化されると、かつては喫煙者と非喫煙者が均衡状態にあったという起源が忘れられ、「タバコを吸ってはならない」という命題が社会において自明のことになる。そうなると喫煙者とはその社会の自明性を守れない人間となってしまい、ゆえに犯罪者=罰則の対象となってしまう。そして差別が生じても、差別しても仕方ない、と考えられるようになってしまう。例えば、部落出身者には何故現在までも根強い差別があるのだろうか。それは彼らが端的に部落出身だから、に他ならない。現在においてはもはや差別の起源は多くの人間には忘れられているが、しかしだからこそ、「差別するということが自明になっている」という人々の共通理解によって、その自明性を根拠とすることによって、差別が続いてしまうのである。~

 

制度化は常に国家が行う。「タバコを吸ってはならない」という制度化は、国家がタバコを吸わない人が増えたほうが望ましいから、国家がこれほどまでに推進するのである。もっともこれはタバコだけということではない。国家は我々の健康を管理しようとしているのだ。それはタバコを吸う人間は病気になりやすい(と考えられる)ので、その治療にかかる医療費からタバコの売り上げに対する税金を差し引いても、喫煙者は非喫煙者よりも多くの医療費を要求することになる(と考えられる)。よってタバコを吸うということは、国家に必要以上に損害を与えることになる。ひいては(国家の責任によって)国の赤字がありえないほど増えているので、そして将来、少子化で年金もおそらく払えないので、タバコはやめて、みんなで健康になって国家のために、少しでも国家の負担を減らそう!ということなのである。~

 

 

 

あとちなみにアンチ班の人は来週のゼミまでに「禁煙ファシズムと戦う」小谷野敦(編著)ベスト新書850円を読んできてもらえるとありがたいです。さらに管理国家自体に興味があれば、斉藤貴男の著作とか(ちょっと左翼しすぎてるけど)、岡元裕一郎の「ポストモダンの思想的根拠」がおすすめです。また俺も読書中ですが、ライアンの著作等もアメリカの9.11以降のロジックを知るうえで重要。小説だとオーウェルの「1984」(途中で挫折)、「動物農場」(こっちのほうが読みやすい)など。あと禁煙とナチスとの関連性は「健康帝国ナチス」プロクター著に詳しい。~

 

反論よろしく

 -僕・・・差別されてたんだねっ!!! -- [[ロン毛!@怒り]] SIZE(10){2005-10-14 () 20:44:10}

 -でもゴミがでるから吸うなよ?と言われたらどうすんの? -- [[みむ]] SIZE(10){2005-10-15 () 03:01:35}

 -まぁ俺は激しくタバコを吸う側ではあるのですが。こっちはどこでも、マジでどこでも吸えますよー。まぁ来年の夏に全面禁煙になるらしいけど。地下鉄のホームでもサッカーの観客席でも。てかそれらのところでみんなふつーにマリファナ吸ってるし。 -- [[]] SIZE(10){2005-10-15 () 03:04:02}

 -「健康帝国ナチス」の著者プロクターさんは僕のドイツ留学時代の遊び仲間なのでした。 -- [[岡原正幸]] SIZE(10){2005-10-15 () 07:55:24}

 -「ゴミ」の中で、タバコの被害が甚大であるなら、タバコ排除の正当化にもなるだろうが、タバコのゴミが他のゴミとの著しいマイナス要因が説明されなければ、タバコにスケーブコートを着せるだけで、ゴミをめぐる根本的な問題を解決するには至らない。それどころかむしろ隠してしまうこととなる。 -- [[nakano]] SIZE(10){2005-10-18 () 14:03:50}

 -先生>面白い偶然ですね。しかし、プロクター氏の著書は、僕はタバコ関連のとこしか読んでませんが、むしろナチスの政策には行き過ぎがあったとはいえ、タバコと健康に関しては先見の明をもってた、ように読めます。 -- [[nakano]] SIZE(10){2005-10-18 () 14:07:27}

 

 

 

 

8月一色海岸ミート。~

7月最初のミート~

「地球上における不平等」をシンボライズしたCM展を開催。~

例えば、「ワイングラス(by桂)」。ワイングラスは上部のワインを注ぐ部分が極端に肥大化していて、それより下の部分(飲むとき手にする部分)は極端に細い。これは地球上の貧富の差を象徴的に表している。~

このようなシンボルをほかにも探し、もしくはつくり、さまざまな媒体で表現してみる。

 

第二弾「I love Keio」こうご期待!~

I love Keio」の商品化計画。ただいま、スポンサー探し中。~

 

*&color(red){予算額 三田祭経費};

適宜/限定されませんが、記録媒体など映像制作班の支出も兼ねます。~

 

 

以下、足立ページより転載

**&color(olive){I love KEIO};

I love KEIO」/anti-CM~

このポスターと、中野が作った「慶應が好きだ」というポスターを校内で確認,またははがされていることを確認した場合、至急メールください。~

 enisi-s8s_capa-inf.@docomo.ne.jp~

 

設置場所:~

 

I love K O」  ・院棟1F トイレ出入口扉裏(男,女)~

            ・5号館 1F2F階段踊り場右手 喫煙所付近~

            ・5号館 B2F 文学部掲示板~

「慶應が好きだ」 ・生協前の自販機の裏の建物(共済部)2F 階段上がって右の柱~

            ・生協前の自販機の裏の建物(共済部)2F 男子トイレ 個室内壁~

            ・5号館 B1F1F階段踊り場右手 喫煙所付近~

            ・5号館 B1F 男子トイレ 手前から2番目の個室内壁~

            ・1号館 3F 男子トイレ 個室内壁~

 ~

何時にチェックしたらまだあった、何時にチェックしたらもうなかったっていうなるべく細めな観察記録を残したいと思っています。~

どうかご協力をm(__)m~

特にはがされている瞬間を目撃した最高にいかしたあなたは、即効その状況を写メにおさめてくれたら◎~

THE巨匠.志賀氏のようにささっとバッグからビデオカメラとか出てきちゃったりしたら激アツです。

 

または、ここにカキコして知らせてくれても結構です。よろしくどうぞ。~

 -うおおーーー、5号館の地下のでかい掲示板のとこと、階段踊り場の喫煙所のポスター無かったすぅう!6月20日。 -- [[はやし]] SIZE(10){2005-06-21 () 01:23:08}

 

 http://enisi.jugem.cc/?image=41.jpg